2017年12月21日木曜日

研究発表:2017年7月8日

7月8日に金沢大学で第24回ヘレニズム〜イスラーム考古学研究会において、「西暦紀元前後のバハレーン島における石製装身具の様相-南アジアとの関係を視野に入れて-」と題した研究発表を行いました。


この研究発表は、6月にバハレーン政府文化・古物局において実施した石製装身具に関する調査成果を報告したもので、西暦紀元前後の時期に海洋交易によってインドからもたらされたと考えられる石製装身具の特徴について概観したものです。北インドおよび南インドの石製装身具の分析を進めていますが、その成果と比較することによって南アジアとアラビア半島をつなぐ海洋交易の実態について明らかにしようとしています。

鉄器時代から歴史時代へ移行する時期(前3世紀頃〜西暦紀元前後)に南アジアとアラビア湾岸、東南アジアをつなぐ海洋交易が活発化し、各地の社会に大きな影響を及ぼすようになります。北インドでは各地に都市が建設され、交易路の整備が進む一方、南インドでは鉄器時代の巨石文化から都市社会へと移行していきます。海洋交易の活発化はそうした社会変化の大きな要因の一つと考えられます。

今後の調査で海洋交易の実態とその社会的影響について、理解を深めていきたいと考えています。

2017年6月27日火曜日

バハレーン調査:2017年5月31日〜6月20日

5月31日から6月20日までバハレーンで資料調査を実施しました。南インドとバハレーン?という疑問ももたれるかもしれませんが、西暦紀元前後の時期(ティロス時代)にバハレーンに残された墳墓から数多くの石製装身具が出土しており、それらがインド産である可能性が高いことから、その記録・分析を行ってきました。まだまだいくつかのステップを踏まないと結論にはいたりませんが、インド産の可能性がきわめて高いと考えています。その根拠としては、紅玉髄、瑪瑙、アメジストという同時代のインドと同じ石材が用いられていること、形態的にもインドに共通するものが多く含まれること、そして穿孔技術という地域的特性を強く反映すると考えられる技術的要素において、インドと同じ技術の使用を示すデータが得られたことによります。

バハレーン出土のインド系玉

現在得られているデータからみると、前4世紀にはインドと東南アジアの海洋交易が活発化しはじめていたことがしられており、前1世紀から後1世紀には海洋交易が最盛期を迎えます。有名な『エリュトゥラー海案内記』には、1世紀頃の地中海世界とインド世界、東南アジア世界をつなぐ海洋交易について描写されていますが、まさにその時代の資料がバハレーン出土の石製装身具であり、インドの石製装身具ということになります。それを具体的に検討することによって、海洋交易の実態を明らかにすることができると考えています。

タイで出土するインド系玉

長い海岸線をもつ南インドも海洋交易の中に深く取り込まれていたと考えられますが、バハレーン出土の石製装身具がインド産とすると、インドのどこでつくられたものでしょうか。可能性としては、南インド、北インド、そしてバローチスターンが候補地としてあげられます。これを特定するには、まだまだ資料が足りませんが、バハレーンという消費地で出土した資料から生産地であるインドの様相を考えてみることも、大変重要です。

南インド巨石文化は前1千年紀末までに衰退すると考えられますが、その衰退の先にはどのような社会が展開したのでしょうか。ある特徴をもった考古文化の「衰退」は、その担い手の死滅を意味しているわけではありません。何かの理由によりある文化が変化し、周辺地域との関係の中で、新しい社会の様態へと転じていくというのが、社会・文化変化の実態です。南インド巨石文化が新たな社会へと変貌していく過程に海洋交易の活発化、周辺地域との新たな交流関係の形成が関わっていたのではないかというのが、現在抱いている一つのシナリオです。広大な地域空間の中に南インドを位置づけていくことによって、南インド社会の変容を理解していきたいと考えています。

2017年4月3日月曜日

インド調査:2017年2月24日〜3月30日

2月24日〜3月30日までインドでの現地調査に出かけてきました。今回はケーララ州コーチ近郊にあるユニオン・クリスチャン・カレッジでの資料調査、ハイデラーバード大学歴史学科K.P.ラーオ教授との共同によるアーンドラ・プラデーシュ州、カルナータカ州所在の南インド新石器文化および南インド巨石文化遺跡の分布調査およびハイデラーバード大学歴史学科所蔵資料の調査、マハーラーシュトラ州政府考古局ナーグプル支局との共同でのナーグプル周辺所在の南インド巨石文化遺跡の分布調査を行ってきました。

ユニオン・クリスチャン・カレッジでは、主にクンヌカラ遺跡出土の石製装身具(ビーズ)の記録化を実施しました。石製装身具は南インド巨石文化を特徴づける器物の一つですが、その背景には北インドとの交流関係が関わっている可能性がこれまでの調査で明らかになってきました。クンヌカラ遺跡出土資料はそうした石製装身具が巨石文化の拡散とともに南インド最南端の地域へと広がっていたことを示す資料として重要な資料と考えられます。

アーンドラ・プラデーシュ州では、チェードゥ・グッタ遺跡、ネッコンダ遺跡、ガディガレヴラ遺跡、パーラヴォイ遺跡、カリヤーンドゥルグ遺跡、チェクラヤペータ遺跡、カルナータカ州ではクマティ遺跡を訪れました。

このうちパーラヴォイ遺跡とチェクラヤペータ遺跡は南インド新石器文化の遺跡で、特にパッラヴォイ遺跡はアッシュマウンドと呼ばれる南インド新石器文化を特徴づける遺構が存在する遺跡です。1960年代に発掘調査が行われていますが、若干の表採資料を得、南インド新石器文化の内容を把握することができました。また、チェクラヤペータ遺跡では土器棺墓を発見し、貴重な資料を得ました。

パーラヴォイ遺跡

チェードゥ・グッタ遺跡は磨製石斧、黒縁赤色土器、鉄滓、歴史時代の土器を採集するとともに、丘陵頂部に存在する古墳を確認しました。これらの資料から、新石器時代から鉄器時代、歴史時代にかけての複合遺跡であると推測されます。

ネッコンダ遺跡では、南インド巨石文化期の黒縁赤色土器と歴史時代の土器を採集することができ、チェードゥ・グッタ遺跡同様に長期間利用された集落遺跡と考えることができます。

ガディガレヴラ遺跡は、壁画を伴う岩陰と古墳を確認しました。壁画には騎馬人像も含まれており、鉄器時代以降のものと考えられ、南インド巨石文化との関連も伺わせています。

ガディガレヴラ遺跡

カリヤーンドゥルグ遺跡は板石を用いた環状列石を伴う古墳を確認しました。板石を環状に立て並べる古墳はアーンドラ・プラデーシュ州からタミル・ナードゥ州北部に分布していますが、それらは地上式石槨を伴うのに対して、カリヤーンドゥルグ遺跡の例は土壙墓と推定され、従来知られていたものとは異なる特徴をもつことが確認できました。

カルナータカ州東部に所在するクマティ遺跡は、板石を加工して人もしくは鳥を象ったと考えられる立石が残る遺跡で、これもまたアーンドラ・プラデーシュ州からタミル・ナードゥ州北部に特徴的な巨石文化期の遺構です。その加工方法は同地域に分布する石槨墓と同様に板石の縁辺を打ち欠くもので、巨石文化期に特徴的な加工方法となっています。古墳とは異なる巨石文化期のモニュメントとして注目されます。

クマティ遺跡

最後にナーグプル近郊では、昨年11月に引き続きマッリ遺跡の分布調査を実施し、古墳の分布図の作成を進めました。

南インドで報告されてきた巨石文化期の遺跡全体からみればごく一部ですが、過去2年間の調査で南インド各地に残る古墳の特徴が浮かび上がってきました。また、表採資料ながら南インド新石器文化期の遺物を収集することができ、巨石文化との物質文化の違いも明らかになりつつあります。その一方で、新石器文化期以降の継続的な居住を示す遺跡を確認しつつあり、文化は変わっても集落の立地には新石器文化と巨石文化の間で共通性がみられることもわかってきました。

多くの成果が蓄積されつつあり、残り2年の研究期間で、さらなる現地調査の実施と成果の取りまとめを進めていく予定です。